==Glory's Way== 私の哲学
なにごとも、その先にあるビジョンが大事だって最近よく聞きますよね。もっともだと思うんですが、ところでビジョンは実は、このバックにある哲学(フィロソフィ)に基づくものだというのはあまり訴えられていないような気がします。
でも、この哲学(フィロソフィ)を、特に個人の持っているものになるとなおさら、言葉に出して主張するのは照れくさいものです。「青臭いやつだ」などと敬遠される向きもあるでしょう。
そこを敢えてあからさまにしようとするのがこのコーナーです。私の私による私のための哲学をできるだけ分かりやすく説明できればと思います。また、ここで述べることがすなわち、GLORY's OFFCEのモットーでもあります。

「BURAI(無頼)宣言!!」

1.私の夢
 学生時代から、「あなたの夢はなんですか」と問われた時には必ず「いい男になることです」と答えるようにしている。
こう答えると、受けた方は一瞬「えっ!」というような顔をすることが多い。その反応を見て楽しんでいる自分も実はいる。
それはさておき、この「いい男」というのは非常に定義が難しい。
人によっては、顔かたちといった外見のことと捉える人もいるだろう。またはこれまでの実績や名誉、地位、財産といったものを想像するかもしれない。生き様といったものを思い浮かべる人もいるかもしれない。
きわめて定性的な表現であるため捉え方もさまざまだ。無理もないことだ。

 では、私のいうところの「いい男」とは何か。これは一言でいうと「自他ともに認められる男のこと」である。
先にあげた、外見、実績、名誉、地位、財産、生き方のほか、人脈や職業、家庭…。これらすべてにおいて、まず自分で納得できるのか。そして、他人の目から見てもすごいと思わせることができるのか。まさにこの点に尽きるのである。
「自分では納得できるけど、他人が認めないこと(自己満足)」や「自分では納得できないけど他人は評価してくれること(結果オーライ?)」ではだめなのだ。きっと本心では満足できないのである。
確かに、肉体的にあるいは精神的に疲労していて妥協してしまうときもある。しかしそのような場合でも、少し時間を置いて冷静に自分自身を省みて非常に悔しい思いをするはずである。

 「いい男」になること。これは非常に難しい目標であり、はてしない夢である。一生かかっても思いを遂げることができないかもしれない。
しかしながら、いわゆる「マズローの欲求階層説」でいうところの「尊厳の欲求」「自己実現の欲求」といった、一般にいわれる高いレベルの欲求を満たすような生き方をしたいと常に考えたいと思う。

2.個人の哲学とビジョン
 言ってみれば1で述べたようなことは、私自身の哲学と言い換えることができるだろう。そして、この私自身の哲学がベースとなり、日常生活における自分自身のビジョンというものを描いたり、あるいはすべての物事に対する基準となっていくと考えている。
逆にいえば、生きていく上でビジョンというのは常に意識していく必要があると思うし、そのための哲学は必要不可欠であると思うのである。

ここで、「個人のビジョン」についてもう少し掘り下げてみたい。
「個人のビジョン」とは、その本人がそれまで経験してきた事柄から導く、将来に向けての構想である。この「個人のビジョン」というものを論理的に表現するために、以下の4つの階層に分けて考えることができる。(参考:「コンサルティングマインド」野口吉昭著)

a. 人生哲学
いわゆるフィロソフィで、生き方のコアとなる部分である。
ここでは、自らの存在価値、行動観、職業観などが定義される。
b. 人生目標
目標といっても、定量的なものと定性的なものがある。特に定性的なものは、人生哲学と表裏一体であり、概して長期的な目標となるものが多い。
c. 生き方コンセプト
生きていく上でのいろいろな場面での自分自身のコンセプト。たとえば、職業、資産、人脈、自己啓発、家庭、趣味などの個々のステージでそれぞれのコンセプトがある。これらは優先順位付けも重要である。割と短期的な指標になることが多い。
d. 生き方計画
職業、財産、人脈、家庭、自己啓発などにおいて、日々の生活における具体的な指標たててそれを実現するための作戦を遂行する。

 まず、上記の4つの階層を実感すること。そして、これまでのことについてきちんと振り返り、反省すべき点は反省をし、あらゆる物事を前向きに考えることで、個人の哲学といったものが育まれていく。結果として将来のビジョンが形成されていくのではないかと思う。

 ここで一つ気をつけなければならないことがある。それは、「人はみなそれぞれちがう」ということだ。まず、上で挙げた4つの階層の中身はそれぞれの人でちがうだろう。そもそもこの4階層の考え方自体もは一つのモデルであり、このような考え方や捉え方も人それぞれだと思う。自分以外の他の人は、自分の考え方とは異なっており、それぞれがある根拠に基づいたビジョンまたは哲学といったものを抱いている、ということを決して忘れてはならない。

3.組織のビジョンと哲学
 次に、個々の人間が構成する組織のビジョンについて考えてみたい。
組織というものは、その組織を構成するメンバ個人個人の考え方に非常に密接な関係がある。
特に、組織(というか企業)というものは個人以上に常にビジョンを描いて前に進んでいかなければならないと思う。そのビジョンの前提となる組織の基本理念(すなわち哲学)を考える上では、そこに属するメンバ個々の哲学は無視できない。
むしろ、組織を構成するメンバ自身の哲学が空疎であったならば、本当の意味での組織の哲学の定着などは非常に難しい話であろう。
このように考えてみると、個人のビジョンの体系と組織としてのビジョン体系とは、実は非常に似通ったものといえる。
 ここで、組織のビジョンと組織の哲学を混同しないように注意したい。
まず、組織のビジョンとは、組織として今後こうありたいとか、こう展開し進化していきたいという将来に対する指針というものだが、これらのビジョンの前提というか根底に流れるものが組織の哲学ということになる。
ビジョンは、定量的な目標や具体的な作戦を踏まえて最終的な到達点を示すものである。一方、哲学は、ビジョン達成のための考え方や姿勢を示すものである。このように、ビジョンと哲学は明らかに趣が異なるものである。が、これらが表裏一体で、相互のバランスがよい組織が一般的にいわれる「素敵な組織」ということになる。

 以上の考察を踏まえて、次に組織における哲学について考えてみたい。

 組織における哲学というものは、一般的には昨今の新聞の一面をにぎわしているような不祥事に相対するようなものでは決してない。もっと日常的な、社内外の人間について回るものである。つまり、組織として日ごろ些細な事柄をどう扱っているかによって、不祥事や大問題が起こったと時の対応が違ってくるのである。
問題が発生してから慌てて倫理基準としての哲学を探しても手後れで、逆にいえば、日ごろから組織としての哲学が定着しているのであれば、不祥事や大問題も起こりにくいし、万一起こったとしても適切で迅速な対応ができるのであろう。

 行き過ぎた「利益優先指向」や「顧客不在のご都合主義」は当然であるが、あまりに偏った「優れたシステムと優れた技術は優れた人格に勝る」といったような考え方も、組織としてバランスの崩れた形であり、仮にこのような思考に陥っているようであれば、組織として原点に戻って見直す必要があるだろう。

 以上のことから、組織の哲学とは結局、組織を構成するメンバーの個々の哲学の中で、同じ組織として共感できる部分で形成されていくのではないかと思う。そしてその組織の哲学が、組織の将来のビジョンを包んでいるのである。
一方で、個人の哲学は組織の哲学の一部として同化し、さらに個人のビジョンがその個人の哲学に内包される形で存在すると考えることができる


4.むすび
 冒頭に挙げた、私自身の哲学は、見方によっては非常に利己的である。
私もそうだが、人間は自己中心的でわがままなものだ。私たちはそもそものはじめから弱い不完全なものなのだと思う。
ただ、この利己的な考え方というのは、それをうんと高いところまで目標を設定ができたならば、一気に利他的な考え方に昇華していくように思う。
そしてその近道が、結局のところ「人を思いやる気持ち」なのではないかと思う。

 極論だが、本当にやさしく思いやりを持って生きようとすれば人は孤独になってしまうような気がする。自分の存在が、周りの人々にどう影響を与えているのか。自分の一挙手一投足が、周りの人々にいやな思いをさせていないか。そもそも自分の存在自体が、周りの人々を苦しめているようなことはないか。そう考えると、人を思いやるということは非常に勇気のいることだ。

 しかし現実においては、そうばかりも言っていられない。多くの人々との協力のもとに自分があり、自分の存在する社会が成り立っているはずである。
となれば、あとは自分自身で自分はどうあるべきか、どうあってはならないのか、最終的には自分自身で答えを出し、その結論から大きく逸脱しないように生きていくしかない。
その道標が個人と組織の哲学である。



以上

GLORY's OFFICEへ